静岡地方裁判所浜松支部 昭和51年(ワ)124号 判決 1985年9月30日
原告
杉浦孝平
原告
馬淵正二
右原告両名訴訟代理人
石田享
渡邊昭
被告
国
右代表者法務大臣
嶋崎均
被告
静岡県
右代表者知事
山本敬三郎
右被告静岡県訴訟代理人
御宿和男
右被告両名指定代理人
川野辺充子
外一〇名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告杉浦孝平に対し金一七三五万三〇〇〇円、原告馬淵正二に対し金六八一万六〇〇〇円及び右各金員に対する昭和五一年五月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一請求原因
1 当事者
原告杉浦孝平(以下「原告杉浦」という。)は、昭和四九年七月八日当時、太田川に架かる国道一号線三ヶ野橋西方約二〇〇メートルの肩書住所地に建物を所有して居住し「あさひ」食堂を経営していたものであり、原告馬淵正二(以下「原告馬淵」という。)は、右当時、原告杉浦方の西方の静岡県磐田市三ヶ野六四三番地の一に建物を所有してスナック喫茶店「レオ」及び食堂「里」を経営していたものである。
太田川は、静岡県周智郡森町の山間部に源を発する三倉川と吉川が同町大鳥居、城下付近で合流して形成され、同町、袋井市上山梨付近、磐田市内の磐田原台地東方、磐田郡福田町を南流し遠州灘に注ぐ中小河川で河川法上の二級河川に指定されているが、被告国は右太田川の設置管理者であり、被告静岡県(以下「被告県」という。)は右太田川の河川管理、提防管理につき費用負担をしているものである。
2 本件水害の発生
昭和四九年七月七日から翌八日未明にかけて静岡県地方に後日「七夕豪雨」といわれる大雨が降り、磐田市三ヶ野橋付近の太田川の流水量も著増して、同日午前三時ころ、太田川の三ヶ野橋上流(北方)の、川口から八・〇二五キロメートルないし八・一キロメートル付近の右岸堤防(別紙図面中「破堤箇所」と表示する部分)が決壊し(以下、右破堤箇所を「本件破堤箇所」と、右破堤を「本件破堤」とそれぞれいう。)、右破堤箇所から噴出した濁流が南下し三ヶ野橋西方の国道一号線を洗い原告ら所有の建物、動産を押し流した。
3 本件破堤箇所及びその付近の状況
(一) 本件破堤箇所付近では川幅が急激かつ極端に狭くなつていた。
太田川の川幅(但し、東西の提防内側間をいう。)は、本件破堤箇所から約一キロメートル上流の敷地川と合流する背割堤付近では約一四〇メートルであつたが、本件破堤箇所のすぐ下流の水制付近から三ヶ野橋にかけては約三〇メートルであり、本件破堤箇所付近で急激かつ極端に狭くなつていた。そして、本件破堤箇所より上流の川幅の広い部分には本件破堤から約六年前までに石畳を敷く等の護岸工事がなされていたが、本件破堤箇所には護岸工事がなされていなかつた。
(二) 本件破堤箇所下流の水制が極端に狭くなる川幅の入口を更に狭めていた。
本件破堤箇所のすぐ下流には川の中に長く突き出た三本の水制が設けられており、これが急激に狭くなる川幅を更に狭め、流水を一定限度で堰止める障害物の役割を果していた。更に、水制に当りはね返る流水が本件破堤箇所の堤体下部を洗掘していた。
(三) 三ヶ野橋の七基の橋脚は流水を堰止める役割を果していた。
本件破堤箇所から約二〇〇メートル下流に三ヶ野橋が架かっており、太田川の平常時水の流れる部分に三基、河川敷の部分に四基の、長さ約一〇メートル、厚さ約一メートルの橋脚が立つていたが、右七基の橋脚は川の流れと平行して設置されておらず流水を阻害する角度で設置されていたため、平常時はもとより洪水時に流水を堰止め水位を上昇させる役割を果していた。右橋脚による洪水時の水位の上昇は約一メートルに及んだ。
(四) 本件破堤箇所付近では川底の勾配も急であつた。
本件破堤箇所付近の川底の勾配は約五五〇分の一であり、南方下流の東海道新幹線鉄橋付近のゆるやかな勾配(約七六〇分の一)と比べてかなり急なものであつた。
(五) 本件破堤箇所の対岸には川の流れを遮断する高水敷が存在した。
本件破堤箇所の対岸(左岸)側には、従前、本件破堤箇所の対岸にあたる箇所より約四五〇メートル上流の地点から下流の三ヶ野橋までの間に平常時の水面から約三メートル以上も高い高水敷が存在したところ、本件破堤から約二年前までの改修工事で右高水敷が上流部分から掘削されたが、本件破堤箇所の対岸にあたる箇所で掘削が打ち切られ、そこから下流部分の高水敷が残置されていた。したがつて、本件破堤時には、本件破堤箇所の対岸にその北端が上流の左岸堤防と直角に近い形で高水敷が存在し、川の流れは左岸堤防と右高水敷の北端で遮断されて本件破堤箇所に流れ込んでおり、流水量が増加するとその傾向は強まり流水が本件破堤箇所に激しく突き当るように流れ込んだ。
(六) 本件破堤箇所の堤体の土質は泥土、砂質土であり弱体であつた。
4 本件破堤の原因
「七夕豪雨」により著増した太田川の流水は、3(五)の高水敷及びその上流の左岸堤防に流れを遮断され、そのすぐ下流で川幅が急激かつ極端に狭くなるうえ3(二)の水制、3(三)の橋脚により流水が堰止められ水位が上昇するため、逆まく激流となつて本件破堤箇所に突き当り続け、遂に本件破堤を惹き起こした。
5 被告らの責任
(一) 河川設置管理の瑕疵の有無の判断基準
(1) 元来河川はその流域における雨水等を集めてこれを安全に下流へ流下させる機能を備えるべきものであり、これを管理する者は、右の機能に欠けることのないよう安全な構造を構え、かつ、常にその機能を果せるように管理すべき責務を有する。
したがつて、河川を危険なまま放置することや河川の危険状況を作り出すことは河川管理者の責任違背であり、危険状況が現存するなかで容易に水害が発生したときは、河川の設置管理の瑕疵が広く認められるべきである。
(2) 管理の瑕疵の有無の判断基準につき河川と道路とを峻別することは、道路でも山間僻地の自然道があり河川でも改修工事を通じて人工の手が加わり半ば人工化しているものが大部分であるというように道路と河川の人工公物性、自然公物性は相対的であること、危険性の内包も河川に限られず山間部の道路にはあてはまること、危険な区間の一時閉鎖等の危険回避の手段にしても河川でも治水ダム、遊水池の設置でこれが可能である一方基幹道路等では常に閉鎖等の措置がとれるものでもないことに照らすと、河川と道路とを質的に区別することは妥当でない。
(3) 河川管理に財政的、技術的、社会的諸制約が存するとしても、それは管理の困難性という事実の面を示すに過ぎず、直ちに管理の瑕疵の有無という規範的判断には結びつかないし、右諸制約が存することをもつて河川の場合に限つて「過渡的安全性」で足りるとするのは不当である。
(4) 管理の瑕疵の有無を同種、同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして判断し、改修中の河川については改修計画が全体として格別不合理なものと認められない限りは原則として瑕疵がないとする見解は、改修が完成した河川の付近に居住する国民と改修途上の河川の付近に居住する国民とを差別し法の下の平等に反すること、一応の改修計画をたてて改修中であれば免責されることになり全くの行政追認となること、比較の対象となる同種、同規模の河川、比較の内容が不分明で厖大な資料の検討が必要な因難な問題となること、河川行政が全体として遅れれば遅れるほど免責の余地が多くなりうること等の点で不当である。
(二) 管理の瑕疵の存在
(1) 本件破堤箇所の対岸及びその上流部の高水敷は水は低きに流れるという自然法則を無視して上流部分から掘削され、本件破堤箇所の対岸には、上流部分と共に当然掘削されるべき高水敷が残置されていた。しかも、右高水敷の北端は上流の堤防と直角に近い形をなしていて、流水が本件破堤箇所に突き当らざるをえない形となっていた。
右のような高水敷を作り出し放置したことは管理の瑕疵にあたる。
(2) 本件破堤箇所の下流には、流水を堰止め水位を上昇させる水制、三ヶ野橋橋脚が設置されていた
右のような水制、橋脚を設置しその後もこれを放置したことは管理の瑕疵にあたる。
(3) 本件破堤箇所は、川幅が急激かつ極端に狭くなる入口にあたり昔から「切れ所」と呼ばれている場所であつたうえ高水敷、水制、橋脚が付近にあつて破堤の危険が顕著な場所であつたから、激流に耐えうる強固な護岸工事が必要であったのに、右護岸工事がなされず泥土、砂質土のもろい堤防のまま放置されていた。
右のように危険な状態が作り出され又は放置されていたことは管理の瑕疵にあたる。
(三) 4の本件破堤の原因のとおり、(二)の各瑕疵の存在により本件破堤が生じた。
(四) したがつて、被告国は国家賠償法二条一項に基づき、被告県は同法三条一項に基づき、それぞれ、原告らが本件水害により被つた後記損害を賠償すべき責任がある。
6 原告らの損害
(一) 原告杉浦(合計一七三五万三〇〇〇円)
(1) 建物の価格 七〇〇万円
(2) 復旧整地費 三七万円
(3) 建物内の動産類の価格 別表(一)のとおり合計六〇八万三〇〇〇円
(4) 休業損害 二四〇万円
(5) 弁護士費用 一五〇万円
(二) 原告馬淵(合計六八一万六〇〇〇円)
(1) スナック喫茶店「レオ」関係
(ア) 建物の価格 二五〇万円
(イ) 電気工事一式 二〇万円
(ウ) 建物内の動産類の価格 別表
(二)のとおり合計一〇四万六〇〇〇円
(2) 食堂「里」関係
(ア) 店舗補修費 一一〇万円
(イ) 電気工事 一〇万円
(ウ) 建物内の動産類の価格 別表
(三)のとおり合計三七万円
(3) 整地費 一〇万円
(4) 休業損害 八〇万円
(5) 弁護士費用 六〇万円
よつて、原告らは、被告らに対し、被告国に対しては国家賠償法二条一項に基づき、被告県に対しては同法三条一項に基づき、各自、原告杉浦に対し損害賠償金一七三五万三〇〇〇円、原告馬淵に対し損害賠償金六八一万六〇〇〇円及び右各金員に対する本件水害の後である最終の訴状送達の日の翌日の昭和五一年五月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実のうち、昭和四九年七月七日から翌八日未明にかけて静岡県地方に後日「七夕豪雨」といわれる大雨が降り磐田市三ヶ野橋付近の太田川の流水量も著増して同日太田川の三ヶ野橋上流の本件破堤箇所が決壊したことは認め、右破堤の時刻は否認し、その余の事実は知らない。
3(一) 同3(一)の事実のうち、本件破堤箇所より上流部分に本件破堤前に護岸工事がなされていたが本件破堤箇所には護岸工事がなされていなかつたことは認め、その余の事実は否認する。
(二) 同3(二)の事実のうち、本件破堤箇所のすぐ下流に三本の水制が設けられていたことは認め、その余の事実は否認する。
(三) 同3(三)の事実のうち、本件破堤箇所から約二〇〇メートル下流に三ヶ野橋が架かつており長さ約一〇メートル、厚さ約一メートルの七基の橋脚が立つていたことは認め、その余は事実は否認する。
(四) 同3(四)の事実のうち、本件破堤箇所付近の川底の勾配が五五〇分の一、東海道新幹線鉄橋付近の川底の勾配が七六〇分の一であることは認め、その余の事実は否認する。
(五) 同3(五)の事実のうち、本件破堤箇所の対岸(左岸)側には従前本件破堤箇所の対岸にあたる箇所より約二〇〇メートル上流の地点から下流の三ヶ野橋までの間に平常時の水面から約三メートル高い高水敷が存在したところ、本件破堤から約五年前までの改修工事で右高水敷が上流部分から掘削されたが、本件破堤箇所の対岸にあたる箇所で掘削が打ち切られ、そこから下流部分の高水敷が一部残置されていたことは認め、その余の事実は否認する。
(六) 同3(六)の事実のうち、本件破堤箇所付近の堤体の土質が砂質土であつたことは認め、その余の事実は否認する。
(七) 本件破堤箇所及びその付近の状況は後記被告らの主張1のとおりである。
4 同4の事実は否認する。
本件破堤の原因は後記被告らの主張2のとおりである。
5(一) 同5(一)の主張は争う。
(二) 同5(二)の事実は否認する。
太田川の管理に瑕疵がなかつたことは後記被告らの主張3のとおりである。
(三) 同5(三)の事実は否認する。
(四) 同5(四)の主張は争う。
6 同6の事実は知らない。
三被告らの主張
1 本件破堤箇所及びその付近の状況
(一) 太田川の川幅(但し、左右両岸高水法線の間隔をいう。)は、敷地川と合流する背割堤付近では約一二〇メートル、本件破堤箇所から六〇〜七〇メートル南で約一〇〇メートルであり、本件破堤箇所付近で急激かつ極端に狭くなつていたということはない。
なお、河川の流下能力は断面により定まるから、これを川幅で議論することは意味がない。
(二) 本件破堤箇所のすぐ下流の三本の水制は、平常時における右岸堤防寄りの流勢を弱めて河床の洗掘を防ぎ、土砂の沈澱を促し、流心を河川の中心に集中させる作用を有するものであり、現にこの作用により右水制直近上流部に寄州を生じ堤防の強化に役立つていた。
また、右水制の面積は僅かに四・八平方メートルで河積に対して占める割合は小さく、洪水の流下に際し水位上昇という影響を与えるものではない。
(三) 三ヶ野橋の橋脚が存在することによつて、橋脚がない場合に比して、流水に対し橋脚の上流部短区間にせき上げ現象という水位上昇を生じさせるが、せき上げ現象は上流部に遡るに従つて収斂されるものであるから、本件破堤箇所付近ではほとんど収斂されており、本件破堤箇所付近の水位に対し三ヶ野橋の橋脚の存在による影響はほとんどない。
なお、三ヶ野橋の橋脚付近で一メートルの水位差が見られたとしても、これは、せき上げ現象とは異なる縮流現象という橋脚の直上、下流部の短い区間で発生する部分的水理現象により生じたものであり、一メートルの水位差がそのまま上流部へ影響を及ぼすものではない。
(四) 本件破堤箇所の対岸に存在した高水敷の河岸は、上流の堤防から下流の高水敷にかけ緩やかな曲線を描いており、この部分に当つた流水は河道に添つて右下流側へ方向を変え、本件破堤箇所よりも下流部で右岸寄りに流れるようになつていた。したがつて、流水が高水敷によつて遮断され本件破堤箇所に激しく突き当つていたということはありえない。
2 本件破堤の原因
本件破堤箇所における太田川の流下能力は毎秒九七五立方メートルであつたところ、七夕豪雨による最大流量は毎秒約一七〇〇立方メートルに及んだ。
このように流下能力をはるかに上回る出水によつて多量の越流水が堤防天端から裏法面を流下したため、裏法肩、裏法尻が洗掘されて裏法面の崩壊が起こり、堤防断面が急激に縮小して本件破堤を惹き起こしたものであり、本件破堤はいわゆる越水破堤である。
3 管理の瑕疵の不存在
(一) 瑕疵の有無の判断基準
河川は自然発生的な公共用物としての特殊性から必然的にその管理は洪水等の災害発生の危険性をはらむものに対して開始される。したがつて、河川の通常備えるべき安全性については、当初から安全性を具備すべく設置され、供用開始行為により公共の用に供される道路等の営造物と異なり、治水事業により逐次安全性が付与されていくとの観点から考えることが必要である。そして、莫大な費用を必要とする治水事業には、財政的制約、技術的制約、社会的制約があり、すべての河川について、通常予測しかつ回避しうるあらゆる水害を未然に防止するに足る治水施設を完備するには相応の期間を必要とするという限界が存し、河川の管理には、道路の管理における危険な区間の一時閉鎖等のような簡易な危険回避という手段のない災害が対象となる点も考慮されなければならない。
右の観点からみた河川の管理についての瑕疵の有無を判断する基準は次のとおりである。
(1) 過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、財政的、技術的、社会的諸制約のもとでの同種、同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えているかどうかを基準として判断すべきである。
(2) 既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画が全体として(1)の見地からみて格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更する等して早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修が未だ行われていないとの一事をもつて河川管理に瑕疵があるとすることはできない。
(二) 太田川の改修工事(一)―大正八年計画の第二期河川改修工事
(1) 明治四三、四四年及び大正三年の大水害を契機として、大正八年に、洪水の円滑な流下と氾濫の防止を目的とする太田川本川二二キロメートルについての改修工事が計画された。右計画における計画高水流量は、過去の洪水痕跡から決定され、本件破堤箇所を含む太田川・原野谷川合流点から太田川・敷地川合流点までの間については毎秒九七五立方メートルとされた。
(2) 右計画は、大正八年から昭和八年にわたつて実施され、在来の不規則な堤防の改廃整理、堤防の補強と河積の拡大、無堤部の築堤、支川への逆流防止施設、用排水施設の施行等が行われ、(1)の計画高水流量を流下させうる堤防が完成した。
(3) 東海道本線鉄橋から国道一号線上流玉越地区までの間(本件破堤箇所はこの中に含まれる。)は数箇所の蛇行があり太田川本川では一番悪い処であつたため、ショートカット工事が行われ、新堤が築造された。
(三) 太田川の改修工事(二)―昭和二六年計画の太田川中小河川改修事業
(1) 昭和一三年、一六年の台風による洪水、同一九年の東南海(遠州灘)地震、同二二、二三年の水害により太田川流域は多くの被害を受けてきたため、同二六年に、地震により脆弱化した堤防の補強と戦争により放置された被災箇所の改良復旧を主目的とする太田川本川及び支川の原野谷川、逆川についての改修工事が計画された。右目的のため、計画高水流量は大正八年計画の第二期河川改修工事における数値が採用された。
(2) 右計画においては、本川、支川が長大な河川であり、最下流部から漸次上流へ改修を図ることは上流部での被災を放置しかねなかつたため、全体を本川につき第一から第四までの四つの工区、支川につき第五から第七までの三つの工区合計七つの工区に分割し、各工区内の流下能力及び被災の社会的大きさ等により施行順位を決定することとした。第四工区は本件破堤箇所を含む太田川・敷地川合流点から下流の太田川・僧川合流点までの九キロメートルであり、第一ないし第三工区はそれより上流部分であつたが、第一ないし第三工区は昭和二九年の台風により全域が被災し同八年当時の流下能力を損ねていたため、同区間から工事が開始され、同二九年から同四八年までの間に所定の工事が完了した。
また、支川の三工区については昭和三五年から工事が開始され、同四九年は施行途上にあり、同五一年までに所定の工事が完了した。
(3) 本件破堤箇所を含む第四工区の工事は、第一ないし第三工区の工事及び支川敷地川の災害助成事業の採択に合わせた改良工事の進捗状況を考慮し、昭和三八年から開始された。東名高速道路太田川橋(敷地川との合流点付近)から国道一号線三ヶ野橋までの区間の太田川の中小河川改修事業及び災害復旧事業としての改修工事の実施状況は次のとおりである。
(ア) 昭和三八年から同四六年にかけて、敷地川の太田川への合流点を下流に下げるため背割堤を築造し、合流点付近から下流にかけての左岸の高水敷を掘削して低水路を拡幅したうえ、右部分及びその上下流の河岸(別紙図面中と表示する部分)に六六五メートルにわたつて両撓式コンクリート張工を施行する等し、対岸の右岸(別紙図面中と表示する部分)も掘削して河積を拡げたうえ四九四メートルにわたつて面撓式コンクリート張工を施行した。
(イ) 昭和三九年ころ、本件破堤箇所のすぐ下流(右岸)(別紙図面中と表示する部分)に水制三本を設置する等し、その下流に九八メートルにわたつて両撓式コンクリート張工を施行した。更に、昭和四六年の台風により右部分の上下流が被災したため、同四七年ころ、約四〇メートルずつ両撓式コンクリート張工等を施行した。
(ウ) 昭和四三年ころ、本件破堤箇所の対岸(左岸)の、本件破堤箇所の南端の対岸にあたる箇所より約二〇〇メートル上流の地点から下流の三ヶ野橋までの間の高水敷を買収し、上流から一九〇メートルにわたつてこれを掘削した。右掘削部分(別紙図面中と表示する部分)は昭和四六年の台風の出水により被災したため、同四七年から四八年にかけて一七〇メートルにわたつて両撓式コンクリート張工を、二五メートルにわたつて鉄線蛇籠工を施行した。
(エ) 昭和四七年の梅雨前線豪雨により左岸の右高水敷掘削部分より約八〇メートル上流部分(別紙図面中と表示する部分)が被災したため、この部分に同四八年から四九年二月にかけて一四〇メートルにわたつて両撓式コンクリート張工等を施行した。
(四) 太田川の改修工事(三)―昭和三七年計画の太田川中小河川改修事業
(1) (三)の改修工事実施中の昭和三七年に、雨量についての資料の蓄積により一般的になつてきた確率論的手法に基づき、太田川の改修計画の見直しが行われ、その結果、本件破堤箇所を含む太田川・原野谷川合流点から太田川・敷地川合流点までの間の計画高水流量は毎秒一五五〇立方メートルに改訂された。
(2) しかし、昭和三七年当時には(三)の改修工事は終了しておらず、直ちに昭和三七年計画の改修工事に移行するとすれば洪水の危険が最も大きかつた太田川本川上流部及び支川の改修工事が途中で放置されることとなるため、昭和二六年計画の(三)の改修工事がまず続行された。
(3) 昭和四六年に太田川・敷地川合流点から上流部の改修がほぼ完了し、全川が昭和二六年計画の計画高水流量にできるめどがついたことから、昭和四六年に同三七年計画の改修工事が着手され、太田川・原野谷川合流点より下流は右計画の計画高水流量以上の流下能力があつたため、右合流点から上流部の流下能力を右計画の計画高水流量以上の水準とすべく、右合流点に近い東海道本線新貝橋の架替工事が開始された。そして、右架替工事の途中七夕豪雨が襲つたものである。
(五) 昭和二一年度から同四九年度までに太田川水系に投資された河川事業費は約四五億円であり、静岡県下に投資された河川事業費の総合計一九二億七〇〇〇万円の二三・四パーセントにあたり、太田川本川のみをみても、約二九億円、一五・二パーセントにあたる。これを県内他河川水系と比較すると、富士川水系一一・五パーセント、都田川水系九・四パーセント、狩野川水系七・九パーセント、菊川水系七・四パーセントで太田川水系に最も多く投資されている。
その結果、昭和五五年度末において、太田川の改修率は三五・四パーセントであり、静岡県下の改修率二六・七パーセントを大幅に上回つている。
(六) 太田川については、被告らにおいて特に重点的に改修を進めるべき河川としてとらえ、他河川にさきがけ大正八年からその改修に着手し、第二次世界大戦後の苦しい財政事情の中にあつてもいち早く河川全体の改修に着手してきた。
(二)ないし(四)の改修工事の経過、内容、(五)のとおり被告らが太田川に対し昭和二一年以降一貫して河川事業費の多くを投資し、その改修率は県内他河川の平均を上回つていることからすると、太田川の改修事業は、本件水害発生当時の同種、同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして当然是認されるものである。
また、本件破堤箇所付近は昭和二六年計画の毎秒九七五立方メートルの計画高水流量の流下能力を有しており、過去四〇年間幾多の洪水に耐えてきた安全性のある箇所であり、背後地は市街化せず旧来からの水田として耕作が営まれていたことからすると、本件破堤箇所について、上下流部及び県内他河川をさしおいてまで集中的に投資して本件水害発生時点までに流下能力を高めておくべき特段の事由は存しなかつた。
したがつて、(一)のいずれの基準からしても、河川の管理について瑕疵はない。
四被告らの抗弁(不可抗力)
「七夕豪雨」は、近年まれにみる降雨量であつたのみならず、それが六、七時間という短時間に集中したという観測史上経験したことのない異常なものであり、本件水害は不可抗力によるものであつた。
すなわち、「七夕豪雨」による降雨量の多い地域は、静岡県下では天竜―静岡―三島を結ぶほぼ東西線上に集中していたが、太田川水系の上流域は天竜―静岡を結ぶ線上にあり、三〇〇ミリメートル以上の雨域が太田川流域の六割を占め、しかもこれが六、七時間内に降つた。とりわけ、太田川流域にある大河内観測所では、昭和四九年七月七日午前一一時から翌八日午前七時までの連続雨量四八六ミリメートル、時間最大雨量九五ミリメートル(八日午前零時から同一時まで)、六時間連続雨量三九七ミリメートル(七日午後八時から八日午前二時まで)を記録し、三倉観測所でも、七日午前一〇時から八日午前八時までの連続雨量三九四ミリメートル、時間最大雨量七八ミリメートル(八日午前零時から同一時まで)、六時間連続雨量三二五ミリメートル(七日午後八時から八日午前二時まで)を記録している。右大河内観測所の降雨量は同観測所の既往記録に比較してかけ離れて異常に多量で短時間に集中して降つたものである。
また、本件破堤箇所における流下能力毎秒九七五立方メートルの算出根拠となつた六時間雨量は一五四・五ミリメートルであるが、「七夕豪雨」の際の流域平均六時間雨量は二七八・一ミリメートルであり極めて異常な降雨量であつた。
五抗弁に対する認否
抗弁事実はすべて否認する。
太田川流域の気象条件は浜松と近似しており、太田川の流量にかかわる降雨量については浜松の気象状況が検討されなければならないところ、「七夕豪雨」時の浜松測候所の観測結果によると、昭和四九年七月七日の降雨量は七七ミリメートル、翌八日は六七ミリメートルで二日間の合計は一四四ミリメートルである。そして、この程度の雨量を伴う豪雨は遠州地方においては過去にしばしば経験してきたものであり、たとえば、明治二〇年から昭和四〇年にかけて毎年六月から一〇月までの間に、暦日一日の日雨量が一〇〇ミリメートルを超えた豪雨日は九六回に及び、二日間にまたがる総雨量が一〇〇ミリメートルを超えた回数は更に多くにのぼる。遠州地方では大雨の際平野部より山間部に降雨量が多いのが普遍的なパターンであるから、太田川上流部では、右の平野部の浜松測候所の記録よりはるかに多くの降雨量があつたとみられる。
したがつて、過去において太田川流域の降雨量は本件水害時の降雨量に比肩しあるいはそれをはるかに上回る事態が繰り返されてきたもので、本件水害を不可抗力によるものということはできない。
なお、大河内観測所の観測の歴史は非常に浅く、また、昭和四六年には日雨量四〇〇ミリメートル近い豪雨も観測しており、いずれの点からみても、本件水害をもつて不可抗力によるものということはできない。
第三証拠<省略>
理由
一請求原因1の事実(原告杉浦及び同馬淵がそれぞれ昭和四九年七月八日当時太田川近くの静岡県磐田市三ヶ野に建物を所有して飲食店を経営しており、被告国が右太田川の設置管理者、被告県が右太田川の管理の費用負担者であつたこと)は、当事者間に争いがない。
二請求原因2の事実のうち、昭和四九年七月七日から翌八日未明にかけて静岡県地方に後日「七夕豪雨」といわれる大雨が降り磐田市三ヶ野橋付近の太田川の流水量も著増して同日太田川の三ヶ野橋上流の本件破堤箇所が決壊したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右破堤の時刻は午前二時三〇分ころと認められ、<証拠>によれば、本件破堤箇所から噴出した濁流が南下し三ヶ野橋西方の国道一号線を洗い原告ら所有の建物、動産を押し流したことが認められる。
三そこで、本件破堤箇所及びその付近の状況について検討する。
1<証拠>によれば、太田川の左右両岸の堤防の表法(高水敷がある場合は高水敷の表法をいう。)尻間の幅(河床幅)は、太田川と敷地川が合流する付近では約一四七メートルであつたが、そこから約二五〇メートル下流からはほぼ一〇〇メートルから八五メートル位になり、右合流点から約一一五〇メートル下流の本件破堤箇所の北端部分で約八七メートル、南端部分で約七〇メートルであり、右南端部分から約六二メートル下流の、三本の水制の一番下流の水制のすぐ下流付近では約三五メートルになつてそこから約一七五メートル下流の三ヶ野橋までの間はほぼ四〇メートルから三五メートル位であつたことが認められる(なお、原告ら主張の川幅は右河床幅を指すものと解せられ、被告ら主張の川幅については本件全証拠によるも高水法線を明らかにする証拠がなくこれを明らかにすることができない。)。したがつて、河床幅についてみると、本件破堤箇所の約六二メートル下流で急激に狭くなつていたということができる。
また、本件破堤箇所より上流のかなりの部分には本件破堤前に護岸工事がなされていたが本件破堤箇所には護岸工事がなされていなかつたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、右護岸工事がなされていた部分は、左岸については、太田川と敷地川との合流点から上流約一〇二メートルと下流約五六三メートル(別紙図面中と表示する部分)、そこから約一五〇メートル下流の一四〇メートル(別紙図面中と表示する部分)、そこから約八〇メートル下流の一九五メートル(別紙図面中と表示する部分、本件破堤箇所の対岸が含まれる。)であり、右岸については、太田川と敷地川との合流点から約一〇〇メートル下流の四九四メートル(別紙図面中と表示する部分)であつたことが認められる。したがつて、太田川と敷地川との合流点から本件破堤箇所までの約一二〇〇メートルの間で、護岸工事がなされていたのは、左岸は合計約九〇〇メートルとかなりの部分に及んだが右岸は全長の半分以下の約五〇〇メートルであり、前記合流点付近及びその下流に重点的になされていたものである。
2本件破堤箇所のすぐ下流に三本の水制が設けられていたことは当事者間に争いがない。そこで、右水制が流水に与える影響についてみるに、水制が河床上に設けられるものである以上、河床幅を水制の長さ分だけ水制の幅に限り狭めることになるのは当然であるとしても、本件破堤箇所付近の河川状況の写真であることは争いがなく証人元場克彦(第一回)、の証言により昭和四九年七月九日に撮影したものと認められる甲第四号証の一、検証の結果によれば、本件破堤箇所下流の水制の高さは、平常時の流水面からわずかに高いにすぎず、洪水時には完全に埋没してしまう高さであることが認められ、<証拠>によれば、太田川の川口から七・五キロメートル(国道一号線三ヶ野橋の下流約三〇〇メートル付近)ないし九・〇キロメートル(右三ヶ野橋の上流約一二〇〇メートル付近)の河道状況を模した模型(以下「本件模型」という。)を使つた水制の有無による水位の変化の実験では、三本の水制の一番上流の水制のすぐ上流部(S((流下断面))=八・〇〇キロメートル+二〇メートルの地点)における水制がある場合とない場合の水位は、流量を毎秒一〇〇立方メートルにしたとき七・四九メートルと七・五二メートル(但し、東京湾中等潮位からの高さである。以下同じ。)、毎秒四〇〇立方メートルにしたとき九・三九メートルと九・二九メートル、毎秒八〇〇立方メートルにしたとき一一・〇七メートルと一一・〇九メートルであり、三本の水制の真中の水制付近(S=八・〇〇キロメートルの地点)における水制がある場合とない場合の水位は、流量を毎秒一〇〇立方メートルにしたとき七・四七メートルと七・四六メートル、毎秒四〇〇立方メートルにしたとき九・三〇メートルと九・二六メートル、毎秒八〇〇立方メートルにしたとき一〇・九八メートルと一一・〇一メートルであつて、流量を毎秒八〇〇立方メートルにしたときは、右の二つの地点とも水制がない場合の方がある場合より水位が高いという実験結果が得られたことが認められる。右各認定事実によれば、三本の水制は、平常時の流水面をはるかに越える洪水時の流水に対しては、流れる幅を狭めこれを堰止める障害物とはならないと推認され、右推認を覆すに足りる証拠はない。なお、<証拠>によれば、本件模型は昭和四七年に存した太田川の改修工事用の平面図、横断面図、縦断面図を主にもとにして作られたことが認められるところ、本件模型が日々刻々変化しうる河道状況を逐一正確に模したものであるかについては、図面から作られた模型という性質からすれば疑義を差し挟む余地があることは否定しえないものの、現実の水制が流水に与える影響を考えるに際し、本件模型による実験結果を一つの資料とすることまでも妨げるものではない。
また、三本の水制は、平常時に右岸堤防寄りの流勢を弱めて河床の洗掘を防ぎ、土砂の沈澱を促し、流心を河川の中心に集中させる作用を有するものであるところ、原告ら主張のように平常時において水制に当りはね返る流水が本件破堤箇所の堤体下部を洗掘していたと認めるに足りる証拠はなく、かえつて、<証拠>によれば、平常時には三本の水制の上流部には本件破堤箇所全面にわたつて土砂の沈澱があつたことが認められる。更に、洪水時には右と異なり本件破堤箇所の堤体下部を洗掘したと認めるに足りる証拠も何らない。
3本件破堤箇所から約二〇〇メートル下流に三ヶ野橋が架つており長さ約一〇メートル、厚さ約一メートルの七基の橋脚が立つていたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、三ヶ野橋の七基の橋脚は川の流れと平行して設置されておらず、特に平常時水の流れる部分にある右岸側の三基の橋脚は流水に対し約二六度の角度で設置されていたことが認められる。
しかし、<証拠>、検証の結果から明らかなとおり、三ヶ野橋の橋脚は流水に対し右角度があるというだけで流水を塞ぐものとはいえず、河道上に橋脚が設置されている場合、仮に流水と平行であつたとしても橋脚がない場合と比べて水位上昇を生じさせ、流水と平行でなければ余計に水位上昇を生じさせることは当然予想されるが、その水位上昇が上流部にどこまでも及ぶものとは考えられず、三ヶ野橋橋脚による洪水時の水位上昇が本件破堤箇所において約一メートルに及んだと認めるに足りる証拠もない。<証拠>中には、「橋の上流と直ぐ下流との関係で落差がかなりあり、それが水の流れの妨げになつていた」旨の供述部分があるが、右は、その供述全体からして橋脚の直上、下流部の短い区間で発生する縮流現象を指している可能性が強く、その他橋脚による水位上昇が本件破堤箇所において一メートルに及ばないまでもかなりのものであつたとの的確な証拠はない。
かえつて、<証拠>によれば、本件模型を使つた橋脚の有無、その流水に対する偏向角度の変化による三ヶ野橋をはさむ上下流各五〇メートル(全長一〇〇メートル)間の水位差の実験では、角度二六度の橋脚がある場合の水位差は、橋脚がない場合に比べて、流量を毎秒八〇〇立方メートルにしたとき三センチメートル、毎秒九八〇立方メートル、毎秒一二〇〇立方メートルにしたとき四センチメートル、本件模型の溢水限界流量である毎秒一三四〇立方メートルにしたとき七センチメートルそれぞれ大きいという実験結果が得られたことが認められ、右認定事実によれば、三ないし七センチメートルが角度二六度の橋脚の存在による実験上のせき上げ量であり、現実のせき上げ量がこれをはるかに凌ぐものとは解する契機がない。更に、右実験が橋脚をはさむ上下流各五〇メートル間での水位差の違い(せき上げ量)であることに鑑みると、橋脚から約二〇〇メートル上流の本件破堤箇所における橋脚の存在によるせき上げ量は、前記実験上のせき上げ量より小さくなる可能性も否定できず、三ヶ野橋の橋脚が洪水時の流水を堰止め本件破堤箇所の水位を著しく上昇させたということはできない。
4本件破堤箇所付近の川底の勾配が五五〇分の一、東海道新幹線鉄橋付近の川底の勾配が七六〇分の一であつたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によれば、五五〇分の一という川底の勾配は、本件破堤箇所付近に限つてのものではなく、川口から七・五キロメートルないし一〇・〇キロメートルの区間の勾配であることが認められるから、南方の東海道新幹線鉄橋付近の勾配と比較しただけで本件破堤箇所付近の川底の勾配が急であつたということはできないし、本件破堤箇所付近がその近くの上流、下流と比べて特に急なものであつたと認めるに足りる証拠はない。
5本件破堤箇所の対岸(左岸)側には従前本件破堤箇所の対岸にあたる箇所より約二〇〇メートル上流の地点から下流の三ヶ野橋までの間に平常時の水面から約三メートル高い高水敷が存在したところ、本件破堤前の改修工事で右高水敷が上流部分から掘削されたが、本件破堤箇所の対岸にあたる箇所で掘削が打ち切られ、そこから下流部分の高水敷が一部残置されていたことは当事者間に争いがない。そこで、右残置された高水敷の北端の形状についてみるに、北端が上流の左岸堤防と直角に近い形を描いていたと認めるに足りる証拠はなく、かえつて、<証拠>によれば、高水敷の河岸は、本件破堤箇所の南端の対岸から三本の水制の下流寄りの水制の対岸までの間は上流の左岸堤防と続いて川の中央に向つて緩やかな曲線を描き、三本の水制の下流寄りの水制の対岸付近で約三五度なめらかに左に曲がつて以後三ヶ野橋まで右岸とほぼ平行になつていたことが認められ、これをもつて川の流れを遮断する形ということはできない。
更に、高水敷の北端に当つた流水の流れる方向についてみるに、平常時又は洪水時に本件破堤箇所に流れ込んだと直接認めるに足りる証拠もないし、少なくとも洪水時には本件破堤箇所に突き当るように流れ込んだと推認しうる根拠もない。むしろ、<証拠>によれば、本件時の洪水によつて、高水敷の北端部はかなり削り取られたことが認められ、また、<証拠>によれば、高水敷を上流部分から掘削した後の昭和四六年に三本の水制のすぐ下流部分が災害で傷んだため、同四七年、その部分に三五メートルにわたり両撓式コンクリート張工が施行されたことが認められるうえ、<証拠>によれば、本件模型を使つた流量の変化による流れの主流及び最大流速の位置の実験では、流速が毎秒三メートルより大きい流れの主流の位置は、流量を毎秒九八〇立方メートルにしたとき三本の水制より下流の川口から七・九五キロメートル付近から右岸寄りになり、毎秒一二〇〇立方メートル、本件模型の溢水限界流量である毎秒一三四〇立方メートルにしたときも同様であり、最大流速の位置も、流量を毎秒九八〇立方メートルにしたとき、毎秒一三四〇立方メートルにしたときとも、同じく右七・九五キロメートル付近から右岸寄りになり、川口から七・九キロメートル付近からはほぼ右岸と平行になるという実験結果が得られたことが認められる。そうすると、前記認定の高水敷の河岸の形状に右各認定事実を総合すると、高水敷の北端に当つた流水は三本の水制より下流方向に流れていつたと推認することができ、右推認を覆すに足りる証拠はない。
6本件破堤箇所付近の堤体の土質が砂質土であつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、もろい崩れ易い土質であつたことが認められる。しかし、右の土質は本件破堤箇所のみの土質ではなく、少なくとも、東名高速道路太田川橋から国道一号線三ヶ野橋までの左右両岸の土質と考えられる。
四次に、本件破堤の原因について検討する。
1三項5のとおり本件破堤箇所の対岸に掘削し残された高水敷が洪水時の流水を遮断し遮断された流水が本件破堤箇所に突き当るように流れ込んだとは認められず、同項2及び3のとおり本件破堤箇所の下流の三本の水制及び三ヶ野橋橋脚が洪水時の流水を堰止め本件破堤箇所の水位を顕著に上昇させたとも認められない。
したがつて、三項1のとおり河床幅が本件破堤箇所の約六二メートル下流で急激に狭くなつていたことは認められるものの、原告らが破堤原因であると主張する、太田川の流水が高水敷に遮断され水制、橋脚により水位上昇が生じたため逆まく激流となつて本件破堤箇所に突き当り続け本件破堤を惹き起こしたとの事実はこれを認めることができない。
2他方、<証拠>を総合すれば、本件水害時の太田川の状況について次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 「七夕豪雨」は天竜―静岡―三島を結ぶほぼ東西線上に多量に降雨をもたらしたものであるところ、太田川水系の上流は天竜―静岡を結ぶ線上にあり、昭和四九年七月七日から翌八日にかけて太田川流域の約六割に三〇〇ミリメートル以上の降雨があり、しかもこれが七日の夜から八日未明の数時間内に集中して降り、太田川の流水量を著増させた。
(二) 三ヶ野橋上流の左岸堤防では、七月八日午前二時前ころから、三ヶ野橋付近から上流約二〇〇メートルにわたつて多量の溢水があり、水と共に木材等も堤内地に流れ込んでいた。また、左右両岸の堤防の天端とほぼ同じ高さの三ヶ野橋橋桁には流水が当つてはね上がり、このため、三ヶ野橋付近では右岸堤防上の道路も冠水していた。
(三) 三ヶ野橋から約二千数百メートル上流の延久橋下流では、同日午前二時五八分と午前三時二二分に、二箇所において越水破堤が生じ、三ヶ野橋から約二〇〇〇メートル下流の新貝橋下流では、同日午前二時ころ、堤防に膝にかぶるほどの溢水があり、越流水が裏法面を洗つて堤体の堤内側天端を一部削り取つている部分もあつた。右以外でも、前記延久橋から三ヶ野橋の下流約五〇〇〇メートルにある和口橋までの間の左右両岸の堤防では各所に溢水が見られた。
(四) 前記新貝橋付近の太田川右岸にある新貝量水標での警戒水位は三・五メートルであつたが、七月八日午前零時の水位は四・六メートルであり、午前一時には五・六メートル、午前二時には六・二メートル、午前二時三〇分には六・五メートルを記録し、午前三時には堤防に近寄れず推定六・九メートルに達した。
また、<証拠>によれば、本件模型に件模型での溢水限界流量である毎秒一三四〇立方メートルの水量を流したとき、本件破堤箇所に含まれる川口から八・〇五キロメートル付近が越水地点となるという実験結果が得られたことが認められる。
更に、本件破堤箇所の下流で河床幅が急激に狭くなつていたことは三項1に認定したとおりであるところ、狭窄部があると洪水時にはその上流側の水位が上昇することは一般的であり、本件破堤箇所付近の堤体の土質が砂質土でもろい崩れ易い土質であつたことは三項6のとおりである。
右の各事実を総合すれば、「七夕豪雨」により著増した流水は随所において太田川の流下能力を越えるに至つていたものであり、本件破堤箇所においても堤防を溢水し、裏法面を流下した多量の越流水が本件破堤を惹き起こしたもので、本件破堤は越水破堤であると推認することができ、右推認を覆すに足りる証拠はない。
五右のとおり本件破堤は越水破堤と認められるところ、越水破堤の故をもつて直ちに河川の管理に瑕疵が存しないということはできず、本件破堤箇所に護岸工事がなされていなかつたことが溢水又は破堤に関し河川の管理の瑕疵となるか否かが問題となるので、以下この点を検討する。
1河川の管理についての瑕疵の有無は、道路その他の人工公物の管理の場合とは異なり、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、河川管理における財政的、技術的及び社会的諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である(最高裁昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁参照)。
なお、原告らは、河川の管理についての瑕疵の有無の判断基準につき河川と道路とを質的に区別することは妥当でない、河川管理に財政的、技術的及び社会的諸制約が存するとしてもそれは直ちに管理の瑕疵の有無という規範的判断には結びつかない、瑕疵の有無を同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして判断することは行政追認となりまた厖大な資料の検討が必要な困難な問題となるから不当である等と主張するところ、そもそも国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が「通常」有すべき安全性を欠き他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、右瑕疵の存否については、当該営造物の「構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して」「具体的個別的に」判断すべきものであるから、河川及び河川管理の特質を十分考慮すべきは当然であり、原告らの主張は右考慮を無視又は軽視するものでこれを採用することはできない。
2<証拠>を総合すれば、太田川の改修計画に関し次の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 太田川は、静岡県西部の天竜・大井両川の間を南北に流れ遠州灘に注ぐ河川で本川の延長は約四四・六キロメートルであり、三九の支川を有し、流域面積は五〇二・二平方キロメートルに及び静岡県下の河川では流域面積が広い河川でそのうち山地面積は二七〇平方キロメートル、平地面積は二三二・二平方キロメートルであつた。流域は、上流部は山地が多く中、下流部は水田が多く昭和四九年ころには未だ田園地帯であつた。
太田川と川口から三・五キロメートルの地点で合流する原野谷川は太田川の支川のうち最も大きい支川であつたが、太田・原野谷両川は沿岸流域開墾、河道の屈曲等で明治以降度々氾濫を起こしており特に明治四三、四四年の水害では被害が甚大であつたため、大正二年に太田川・原野谷川両水害予防組合が県費補助改修に着手し、同八年には洪水の円滑な流下と氾濫の防止を目的として在来の不規則な堤防の改廃整理、新堤の築造、河積不足の箇所の掘削、河状の屈曲の緩和等を内容とする国庫補助県営事業の改修工事が着手され、右工事は後に内務省直轄工事となり昭和八年に完成した。
右大正八年の改修計画で採用された最大流量は原野谷川との合流点以下では毎秒一九五〇立方メートル、右合流点以上では毎秒七〇〇から九七五立方メートルであり、川幅は原野谷川との合流点以下では四二〇メートル、合流点以上では九〇メートルということであつた。
(二) しかし、その後昭和一三年、一六年の大水害で田畑は冠水等の被害を被り、また、同一九年の東南海(遠州灘)地震で堤防が沈下、損壊したため、同二七年から太田川中小河川改良工事として再改修工事が着手された。右改修工事においては、改修に着手されたことがなく水害の被害を度々被つていた太田川本川上流部及び支川の改修並びに工事が不完全なため出水時には逆流を起こしていた支川の合流点の改良が優先的になされ、計画高水流量については従前の値(本件破堤箇所付近では原野谷川との合流点以上の最大流量の最大値である毎秒九七五立方メートル)がそのまま採用された。
(三) 昭和二七年からの再改修工事の一環として、同四〇年から太田川・敷地川合流点の改良工事が着手されたが、右合流点の直近下流の左右両岸には高水敷の堤外民有地があり太田川と敷地川の出水時間が重なると敷地川の水が下流に流れにくいという不都合があつたため、右堤外民有地を買収して高水敷を掘削し、同四三年度までに、左岸の別紙図面中と表示する部分に六六五メートルにわたつて両撓式コンクリート張工又は鉄線蛇籠工が、右岸の別紙図面中と表示する部分に四九四メートルにわたつてコンクリート張工がそれぞれ施行され、太田川・敷地川の合流する直近下流は河積が拡大し敷地川の流水が流れ易くなつた。
引き続いて河積拡大のため、左岸の別紙図面中と表示する部分に川の中央まで張り出していた高水敷及びその下流の三ヶ野橋までの高水敷を昭和四三年に買収し右高水敷を併せて掘削しようとしたが、三ヶ野橋の左岸側の橋脚が高水敷の上に立つており高水敷をすべて掘削してしまうことができなかつたため、高水敷の一部の掘削は三ヶ野橋の架替えと共に施行することとし、橋脚に影響を与えない範囲で、すでに昭和三九年に施行されていた三ヶ野橋上流右岸の別紙図面中と表示する部分のコンクリート張工の存在も勘案し右部分に水が流れるよう別紙図面中と表示する部分に張り出していた高水敷のみを一九〇メートルにわたつて掘削し河積を拡大した。
(四) 前記再改修工事とは別に、昭和四六年八月の台風による出水によつて別紙図面中と表示する部分の掘削されたままの表法面が浸食されたため、同四七年に災害復旧工事として同部分に一九五メートルにわたつて両撓式コンクリート張工又は鉄線蛇籠工が施行された。更に、同四七年の出水によつて別紙図面中と表示する部分の堤防の法先が洗掘されたため、同四八年にこれも災害復旧工事として同部分に一四〇メートルにわたつて両撓式コンクリート張工が施行された。
(五) 太田川の昭和四九年当時の敷地川との合流点から川口までの河道は、本件破堤箇所の下流のみならず、川幅が上流部分より狭いという箇所が数箇所あり川幅が一定せず、原野谷川との合流点までの間は大きな蛇行はないものの小さな蛇行が続いていた。
また、別紙図面中と表示する部分の下流の高水敷も三ヶ野橋から下流にも数百メートル続いており川幅は三ヶ野橋上流と変わりがなかつた。
(六) 太田川の流域が存する遠州地方の気候には、温暖、天気の良い日の割に降水量が多い等の特徴があり、年間の降水量は二〇〇〇〜二五〇〇ミリメートルであるが山間部では更に降水量が多い。降水量が多いのは六月の梅雨期と八、九月の台風期であり一〇月から二月にかけては少ないが、梅雨期の降水量は太田川上流部では平均して四五〇〜五〇〇ミリメートルで下流に行くにつれ少なくなる。また、台風期には台風の影響で前線が活発化すると山間部では大雨が降ることがある。
遠州地方における水害の原因は主に梅雨前線と台風であり、太田川の場合も同様である。明治以降の太田川の水害では、堤防決壊、溢水等が太田川本川の上流、中流の各所で発生したときは多くの支川でも同時に溢水等が発生しており、支川のみの氾濫も多かつた。
(七) 昭和二七年からの再改修工事施行中の同三七年に、降水量等の資料の蓄積と河川工学上の知見を取り入れ計画高水流量が太田川・原野谷川合流点から上流は毎秒一五五〇立方メートルに改訂され改修計画全般の見直しが行われたが、前記再改修工事のめどがついた昭和四六年から、下流から上流にむけて同三七年の改修計画に基づく工事が着手され同四九年七月は右工事の施行中であつた。
なお、昭和四九年三月には、再度計画高水流量の改訂(太田川・原野谷川合流点から上流は毎秒一九七〇立方メートルとなつた。)と改修計画全般の見直しが行われている。
(八) 静岡県下において、昭和四九年当時被告県が管理する河川は八八水系五一八本でその河川延長は約二五五〇キロメートルでありそのうち改修が必要な部分は約一七〇〇キロメートル以上であつた。
昭和二一年度から同四九年度までの被告県の中小河川改修事業費、小規模河川改修事業費及び局部改良事業費の総合計は約一九二億六〇〇〇万円となるが、太田川水系に投資された右費用は合計約四五億円で県全体の約二三・四パーセントにあたり、水系毎の投資額では最も多く、太田川本川に投資された右費用は合計約二九億三〇〇〇万円で県全体の約一五・二パーセントにあたりこれだけでも他の水系への投資額より多い。そして、太田川本川への投資は昭和二七年度に始まり同三一年度から同四九年度まで毎年金額は増加していた。
32の認定事実のもとにおいては、上、中流部及び多くの支川で水害が発生していた太田川について上流部及び支川から改修を進めたことが、1の過去における水害の発生状況その他諸般の事情を考慮して判断する場合1の河川管理の一般水準及び社会通念に照らして格別不合理なものとは認められず、また二つの河川が合流するときは一挙に流量が増すことになるから支川との合流点の改良に力点を置いて改修を進めたことも格別不合理なものとは認められない。更に、昭和四六年に着手された同三七年に改訂された計画では川幅が一定せず屈曲の多い下流部から順次上流部へ改修を進めていくこととしたのであり、これもまた格別不合理なものとは認められない。その他前示諸般の事情を考慮して河川管理の一般水準及び社会通念に照らしてみるに、太田川の昭和二七年着手の改修計画及び同三七年改訂の改修計画並びにその実施の状況について格別不合理なものがあるとは認められない。
4右のとおり改修計画が全体として格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ又は工事の順序を変更する等して早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修が未だ行われていないとの一事をもつて河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである(最高裁昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁参照)。
そこで、本件破堤箇所に早期の改修工事を施行すべき特段の事由の存在についてみるに、2の認定事実及び三項で認定した本件破堤箇所及びその付近の状況からは、右特段の事由の存在は窺えず(すなわち、対岸の高水敷の一部掘削と残置が本件破堤箇所の水害発生の危険性を生じさせるものではないこと並びに水制及び三ヶ野橋橋脚が流水を堰止めるものではないことは三項2、3及び5に認定説示したとおりである。また、別紙図面中及びと表示する部分に昭和四六、四七年に護岸工事がなされたことは2の(四)に認定したとおりであるが、右はいずれも災害復旧工事としてなされたものであるから、このことをもつて本件破堤箇所にも早期に改修工事を施行すべきであるということはできない。)、<証拠>中には、「本件破堤箇所は切れ所である」旨の供述部分があるが、右はその供述から明らかなように大正八年から昭和八年までの改修工事の一環として大きく屈曲していた河道が修整される以前のことを指しているのであるから、本件破堤時において本件破堤箇所が水害発生の危険性が顕著であつたと認める証拠とはなしえない。その他本件破堤箇所に早期に改修工事を施行すべき特段の事由を認めるに足りる証拠はない。
以上によれば、本件破堤箇所に護岸工事がなされていなかつたとはいえ、これをもつて河川管理に瑕疵があつたということはできない。
六以上の次第で本件水害をもつて河川の管理の瑕疵に起因するものということはできず、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官浅香恒久 裁判官安倍晴彦 裁判官江口とし子)
別表(一)
品名
個数
価格(円)
1
冷蔵庫 ナショナル大型
1
27万
2
冷蔵庫(ショーケース) ナショナル
1
10万
3
冷蔵庫 三共
1
10万
4
冷蔵庫 日立
1
7万
5
冷凍冷蔵庫 三洋
1
7万3000
6
冷蔵庫 ナショナル
1
8万
7
ミシン 蛇の目
1
8万
8
ミシン サイゴン
1
3万
9
テレビ ナショナルパナカラー
1
16万
10
テレビ 東芝カラー
1
15万
11
テレビ 東芝白黒
1
4万
12
自転車
2
5万
13
電子レンジ(営業用)
2
20万
14
ガスレンジ
1
9万
15
ミキサー・ジューサー
1
1万6000
16
トースター
1
3000
17
電気ゴタツ
2
5万
18
扇風機
2
6万
19
ガス釜
2
3万
20
編機 リズム
1
3万
21
アンマ機
1
3万5000
22
洗濯機 東芝
1
3万
23
ガスコンロ
12
3万6000
24
食器類
30万
25
食器入(戸棚類)
3
15万
26
和ダンス
2
10万
27
洋ダンス
3
3万
28
フトン入
2
2万
29
仏壇
1
8万
30
陳列戸棚
2
3万
31
衣類洋服
40万
32
衣類和服
40万
33
フトン
9
20万
34
食料品在庫(営業用)
15万
35
テーブル
12
6万
36
椅子
50
5万
37
湯沸器
3
6万
38
長女嫁入道具
一式
200万
39
農具
一式
2万
40
工具
一式
5万
41
刃物(営業用)
一式
20万
別表(二)
品名
個数
価格(円)
1
クーラー
1
35万
2
冷蔵庫
2
12万
3
電気釜・ミキサー・トースター・テレビ・
電気ジャー・プレーヤー・ヒーター(暖房用)
一式
21万
4
カウンター用椅子
8
5万6000
5
机
2
2万
6
椅子
4
4万
7
看板・テント
一式
10万
8
食器・材料等
15万
別表(三)
品名
個数
価格(円)
1
電気製品
15万
2
客用椅子・机
2万
3
食器
5万
4
看板
15万